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1944年、日本海軍の大西瀧治郎中将から杯を受ける神風特攻隊パイロットたち=米海軍歴史遺産司令部のホームページから
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 80年前の1944年10月25日は、神風特別攻撃隊が体当たり攻撃によって米軍艦を初めて撃沈した日にあたります。航空機による体当たり攻撃(航空特攻)は翌45年8月の終戦まで続き、海軍で2500人余、陸軍で約1400人の戦死者を出しました。防衛研究所戦史研究センター史料室の柴田武彦調査員は、日本軍が体当たり攻撃を選択した背景には様々な事情があったと語ります。

【連載】読み解く 世界の安保危機

ウクライナにとどまらず、パレスチナ情勢や台湾、北朝鮮、サイバー空間、地球規模の気候変動と世界各地で安全保障が揺れています。現場で何が起き、私たちの生活にどう影響するのか。のべ260人以上の国内外の識者へのインタビューを連載でお届けします。

 ――航空特攻という考えはどうして生まれたのでしょうか。

 戦前の日本では航空機の搭乗員は危険な職種とみられていました。事故を起こせば死につながるため、「搭乗員に死はつきものだ」という考えがありました。

 さらに、捕虜になることを潔しとしない日本軍独特の考えも影響したと思います。日本軍が戦いに初めて航空機を投入したのは、第1次世界大戦中の14年9月から11月にかけて起きた中国・青島での戦闘です。その際、司令官は「敵の勢力圏内に不時着するような事態になれば、自爆せよ」という趣旨の訓示を行っています。先の大戦でも41年12月の真珠湾攻撃以降、航空機のパイロットは捕虜になることを避けるため、敵地に向かう際は落下傘を着用しませんでした。

 ――日本軍も当初は特攻とい…

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